令和7年川口市退職校長会文学散歩

10月31日(金)今年度の文学散歩は、渋沢栄一を訪ねて、「論語とそろばん」、北区王子の飛鳥山にある、渋沢栄一史料館と青淵文庫、晩香盧に行き、王子駅付近大衆割烹「半平」で昼食解散のコースでした。10時にJR王子駅中央改札に集合して、13時30分に「半平」で解散の散策でした。

1.渋沢栄一史料館

今回の主人公の渋沢栄一について

渋沢栄一とは、近代日本経済の礎を築いた実業家、慈善家、政治家です。彼は「日本資本主義の父」とも称され、現在の一万円札の肖像にもなっています。

 渋沢栄一は1840年(天保11年)2月13日に、現在の埼玉県深谷市の裕福な農家に生まれました。幼少期から家業を手伝いながら、「論語」などの学問を学びました。若くして尊王攘夷思想の影響を受け、高崎城乗っ取り計画に関わるなどの経験を持ちます。

その後、一橋慶喜に仕え、徳川慶喜が15代将軍になると幕臣となりました。27歳のとき、徳川昭武に随行してパリ万国博覧会を視察し、ヨーロッパの先進的な社会制度や経済システムに触れたことが、彼の人生に大きな影響を与えました。

明治維新後、明治政府に招かれ大蔵省の一員として新貨条例の制定や富岡製糸場の設立に関わりましたが、1873年(明治6年)に辞職し、民間経済人としての活動を始めました。生涯にわたり約500もの企業の設立・育成に関与し、約600の教育機関や社会公共事業の支援に尽力しました。彼は「道徳経済合一説」、すなわち「論語と算盤」を説き、利益追求だけでなく社会全体の利益を重視する経営理念を掲げました。

1909年(明治42年)に実業界から引退した後は、民間外交や社会事業、教育、福祉、医療などに尽力しました。その功績により、二度にわたってノーベル平和賞の候補にもなっています。渋沢栄一は1931年(昭和6年)11月11日に91歳でその生涯を終えました.

2.青淵文庫(せいえんぶんこ)とは

.青淵文庫(せいえんぶんこ) 渋沢栄一の傘寿(80歳)と男爵から子爵への昇格をお祝いして、竜門社(現・公益財団法人渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した煉瓦及び鉄筋コンクリート造の2階建です。 1925年のしゅん工で、栄一の書庫として、また接客の場としても使用されました。

3.晩香廬(ばんこうろ)とは

晩香廬(ばんこうろ)は、実業家・渋沢栄一の喜寿を祝して1917年(大正6年)に清水組(現・清水建設)から贈られた洋風茶室です。渋沢栄一自作の漢詩「菊花晩節香」から名付けられ、内外の賓客を迎えるレセプションルームとして使用されました。国の重要文化財に指定されています。

建築の特徴

晩香廬は、木造平屋建てで、丈夫な栗材が使われています。一見洋風建築ですが、日本の伝統的な数寄屋造りの要素を取り入れた和洋折衷の建物です。暖炉や薪入れ、火鉢などの調度品、机や椅子などの家具にも設計者である田辺淳吉の細やかな心遣いが見られます。

歴史的背景

晩香廬は、東京・王子の飛鳥山にあった渋沢栄一の邸宅「曖依村荘」の一部でした。第二次世界大戦の空襲で邸宅の多くが焼失する中、青淵文庫とともに奇跡的に残された貴重な大正時代の建築遺構です。

現在の公開状況

晩香廬は、渋沢史料館の施設として一般公開されており、飛鳥山公園内で見学できます。イベント開催などにより見学できない場合があるため、事前に公開状況を確認することをおすすめします。

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